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「幸福は夢に過ぎず、苦痛は現実である。 現在から未來は産まれ落ちる。」
「幸福不過是一場夢,而痛苦是真實的。 未來就是由現在誕生的。」[1] |
” |
——"Voltaire" François-Marie Arouet(1694~1778) "伏爾泰" 弗朗索瓦-馬利·阿魯埃[2](1694~1778)
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作詞 作曲 |
mint*(薄荷キャンディP) |
調教 |
攻 |
曲繪 |
水窓* |
視頻 |
なつ |
演唱 |
音街鰻 |
《365日綴り続けた戀文のように》是mint*(薄荷キャンディP)於2017年6月2日投稿至niconico和YouTube的VOCALOID日文原創歌曲,由音街鰻演唱。收錄於專輯Una-Chance!。
歌曲
歌詞
本段落中所使用的歌詞,其著作權屬於原著作權人,僅以介紹為目的引用。
いつでも生きがいなんだって自慢してたものを
因為丟失了總是誇耀作自己的生存意義的事物
失くしてから100日間ずっと自分を憎んでいた
而在一百天裡一直憎恨著自己
君が差し出した傘も受け取れずに
我連你遞出的傘都沒接過來
幼すぎたから愛し抜けなかったサヨナラばっか
因為太過年幼而沒能愛到最後卻惟得離別
ちっぽけな心臓に突き刺さったままで
只是刺入著這渺小的心臟
泣いても哭いても壊せないんだ
縱使落淚縱使泣下也不會破壞它的
生きることは失うこと わかっちゃいるけど
生存就是失去 雖說我是明白的
君を100萬回焼きつけてしまうだろう
我就一定會記錄下100萬張的你吧
ねぇ ひたすらに正直に生きようとするほど
吶 我幾乎連想要一心坦率生活之事
誰かが諦めた昨日ですれ違い消えた燈()が
誰所放棄的昨日裡擦肩而過而逝去的燈()火()
あの日「死にたくない」って泣いていた
在那天哭著說道「我不想死」
そう 神さまがきっと僕らに拵()えた幸せなんて
對啊 一定是神明大人為我們製出的幸福
人間()の數の10分の1さえ無いってのに
連別人的數量的十分之一都不到吧
それを奪いあって殺しあうだけの存在証明()
為之而互相爭奪互相殘殺的存在證明()
そんな世界でもまだ足は進もうとしてる
縱使是那般的世界我也依然會邁步前行
365日間 綴り続けた戀文のよう
正如持續不斷綴寫了365天的情書
掌は想いのすべてを映しだすから
手掌上定會映現出一切思念
「あしたは晴れるといいね」
「明天也是晴天就好了呢」
───もう一度信じてみたいんだよ
───我還想再相信一次啊
小さな傘の下 震える君の手を握りながら
在小小的傘下 握緊著顫抖的你的手
ボロボロでも進もうとする君を見ても
而是看見雖然傷痕累累卻依然前行的你
涙さえ流せなくなってしまうことなんだ
自己就連淚水也已無法流出
もしも世界中が君に絶望して雨が降るなら
若是這世界向你降下令人絕望的雨
今度は僕が傘を差し出してあげたいよ
這一次我想要遞給你傘啊
365日間 綴り続けた手紙は
持續不斷綴寫了365天的情書
もうぐしゃぐしゃで汚れちゃったけど
雖已然是浸泡的不成樣子
注釋及外部連結
- ↑ 譯註:第一句話使用了網上的伏爾泰名言的譯法,第二句話未找到現有的中文翻譯,是根據日文原文自行翻譯的。
- ↑ 譯註:即伏爾泰的本名。
- ↑ 中文翻譯轉自lofter。